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服の歴史と構成を織りなす要素として民族衣装を研究材料にし、
そこから得られる機能性や美を服に落とし込み多方面から表現しています。

ANDES

Photo by 田村正義 Masayoshi Tamura
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Llakkola

Llakkola(Yakkora)は男性の着用するマントを指す。
形状は正方形または長方形で、その役割に応じて2つの角を持って結び、着用するものである。
 高地に住んでいる人たちにとっては寒さから身を守る意味と、庶民においては日本でいう風呂敷的な荷物運ぶなど万能の布としての利用価値。また階級の上の立場になればより大きく見せる為という意味もあったようだ。そのため生地は階級が高ければ高いほど凝った生地が使われ、Llakkolaを見ればどのくらいの階級なのかわかる。
 LlakkollaはTilmatli(ティルマトリ)とう名称でアステカ圏でも広く着用されている。着用の仕方としても似ており、この地域一帯においては、一般的な服の一つと言えるだろう。アンデス圏においてはこの地域は乾燥している為、布が分解されずに発掘されるケースがある。それは織柄や染色が素晴らしく、近年では約6000年前のインディゴで染められた生地が発見された。
Llakkollaの特徴をどうとらえるべきか悩んだ末、Llakkollaを纏った際の布の重なりや機能性を取り入れるべく、背中を2枚の生地で“ふらした”状態にし、マントを羽織っていっるときのような状態を再現した。肩からふらすことで、通常タックやAH付近の“きせ”などで補う肩の可動域を確保した。そもそも制限が無いので開く限界まで開く。しかし開いたままでは肩をもとの状態に戻したときに布の摩擦で元に通りには戻らないのであえてジャケットはウェストにベルトを配置することで適度な制限をかけつつ、動きやすく型崩れしにくい服に仕上げた。また風呂敷的な多用途という事から、ポケットも4つ配置し、多くのものを収納できる。アシンメトリーの襟は様々な着用の仕方のできるLlakkollaの多様性を表現したものである。
 シャツジャケットはウェストベルトはあえて設置せず、ゆったりと着れるものに。袖や身幅もゆったりとさせつつシルエットが大きくなりすぎないような寸法に調整し、ハオリとして活用しやすい20℃台の気温時に着やすいものにしあげた。

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UNCU​

Uncuの貫頭衣スタイルを今の服に落とし込むにおいてeofmではTシャツが代表作として存在するが今回はシャツに落とし込んでみた。
 現代のインカのお祭りや、mocheの陶器など戦闘服や位の高い人物に首飾りが散見できる。この装飾性を問い入れ、eofm的解釈で前身頃を左胸のパーツと本チアパーツに分けTocapuの細やかさを表現するためにボタンを多くつけた。日本は多湿故、通気性を持たせるためにゆったりとしたつくりにしたのも特徴のひとつである。
 Uncu(ウンク)は貫頭衣の一種で男性用の着衣として着られていた上着で、形状としては太古から着られていた服の一つである。日本では縄文時代など、多くの地域においても裁断することなく作られる形状から広く着用されてきた服である。繊維を環境からとりだし、糸をつむぎ糸にするところから織り、一枚の生地にするには膨大な時間がかかる。現代の機械製の生地と違いそういった状況下では今の何倍何百倍の価値がある生地を切るということ事態、無駄な行為であったことは言うまでもない。
 通常は右身頃と左身頃になる長方形の生地を作り、前中心からバスト程度までと、脇裾から脇下までを縫う事で首と腕を出す穴を成型し成り立つ。
 アンデス文化圏において発達した織りの表現力の豊かさはTocapuという最小の四角形の生地を作りそれをつなぎ合わせることで表現された。ひとマスひとマスに込められた思いと手間が高貴な人たちの服を豪華に飾る。
 獣毛で織られたものがほとんどで、比較的身体に寄り添うサイズで作られた。
 アンデス文化圏においては現地の気温に応じて着丈が変化する。沿岸の服は着丈が短く、高所の気温の低い地域では着丈が長く、スカートを合わせて着用することもあった。また高所の

服や戦闘服は皮膚の露出を少なくするために小さな袖がつけられたものもみられる。

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